紹介

「やちまた」とは

 私たち、やちまた混声合唱団の「やちまた」は『(ことば)のやちまた』(文化5年1808年刊)からもらっています。 この書物は本居宣長の長男、本居春庭はるにわの動詞の活用についての論文です。

 松阪音楽文化協会は1993年、創立10年を記念して音楽物語「やちまた讃歌〜春庭物語〜」(宮中雲子 作詞、錦かよ子 作曲)を上演しました。 春庭が中途失明という悲運にあいながらも妻・壱岐(いき)、妹・美濃(みの)の献身的な支えによって、わが国で初めて動詞の変化(活用)の法則を発見し、体系的に明らかにすることに成功する物語です。

 この上演に参加した人たちが集まって、それまで松阪になかった混声合唱団を結成し「やちまた混声合唱団」と名づけました。 「やちまた」は団 結成の動機を示すとともに、郷土松阪の学問・文化の誇るべき伝統が生んだ文化集団でもあるという由緒ある名前です。

 春庭は20歳のころから動詞活用の不思議さ、精妙さに強く関心を寄せ研究を始めました。 ところが28歳頃から徐々に視力が失われ、32歳で完全に失明してしまいます。 文献や資料を読むことも語類カードを作ることもできません。 ことに春庭のように実証的・帰納的な方法で研究を進める研究者にとっては致命的です。 壱岐と美濃は春庭の眼となり手足となって春庭の精密な研究を支えました。 文化3年(1806)、動詞変化の法則を体系的に明らかにした研究が完成しました。 『詞のやちまた』(小津美濃代筆)です。 春庭は44歳になっていました。

 動詞は語尾変化によって、その働きがいくつにも分かれます。 それは1本の道がいくつにもの方面に分岐していくのと同じと見て、春庭はライフワークに『詞のやちまた』と表題をつけたのでしょう。 春庭自身、人の世にも「やちまた」を見ていたのかもしれません。 
                                                                            
 春庭は、そのあとも動詞の研究を続けました。 文政12年(1828)2月、自動詞と他動詞の研究『(ことば)通路(かよいじ)』(小津美濃代筆)が完成しました。 この年の11月、春庭は66歳で没しました。

 春庭の墓は樹敬寺(じゅきょうじ)(松阪市新町874)にあります。 壱岐も同じ墓に入っています。 美濃の墓は来迎寺らいごうじ(松阪市白粉町512)にあります。


   やちまた讃歌
       やちまた讃歌〜春庭物語〜   H5,4,4

やちまた混声合唱団について

1993年に松阪音楽文化協会創立10周年記念事業、音楽物語「やちまた讃歌」出演メンバーで「やちまた混声合唱団」を結成。
結成以来演奏会には「オーケストラ付きの合唱曲を」とのポリシーもと1年半間隔で定期演奏会開催を目標に練習を続けている。
三重県合唱連盟、松阪音楽文化協会、松阪合唱友の会に加入。
原則第一日曜日・第三日曜日に第一公民館他にて練習しています。主にパートリーダーによるパート練習、長谷川豊子先生によるアンサンブルトレーニング、 ボイストレーニングも行っています。
詳しくは練習計画で。

指揮 向井 正雄
ピアノ 山本 美保
ボイストレーナー 長谷川豊子
代表 馬場 吾郎
団員 約50名
やちまた混声合唱団
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